昨日の院長ブログで、言い換えの範囲は、出題者の感覚に委ねられていることをお話ししました。

https://fukatsu-clinic.com/blog/2024/04/12

よって注意を払うのは、問題文の作者の心情ではなく、出題者の心情なのです。

だいたい古文・漢文の問題文は、一日中繰り返して読んでもよー分からん🥱。

よって小説もそうですが、特に古文・漢文の問題文は、登場人物S(主語)がOをVするを意識して、ざーと読むだけで良いのです。

むしろじっくり読むと、妄想が入って思わぬ誤読をしてしまう危険性があります。

しつこく言います。

設問の選択肢は、熟読?(余分な自分の感情が入り混じる)によって作られた妄想による誤読に沿って作られていることが多いです。

問題文に書かれていないことは全て間違えです。

古文・漢文のよー分からん文章を読むのには時間かけないで、じっくり読むのは、設問文と古文・漢文の問題にありがちな「注」なのです🤔。