昨日の院長ブログで、問題文に時間をかけ過ぎて、思わぬ誤読をしてしまう危険性があることをお話ししました。
このことは小説や古文・漢文で、特に言えます。
熟読しすぎて、思わぬ誤読をしてしまう危険性があります。
設問は、熟読?(余分な自分の感情が入り混じる)によって作られた妄想による誤読に沿って作られていることが多いです。
小説の問題は、たぶん?作者の意思を確認せずに、出題者が勝手に作っています。
よって問題文(小説のごくごく一部)に書かれていないことは全て間違えです。
昨日に続いて、もう一回繰り返します。
「設問の棒線部の答えは、棒線部前後に書かれている(一対一対応で言い換えられている)ことが多い」
そう。
言い換えの範囲は、出題者の感覚に委ねられているのです。
これは古文・漢文にも大いに言えることです。
古文・漢文の作者に本当の意味を確認しようにも、作者は生きていません🥲。